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1:Jun-ichi
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2013/07/28 (Sun) 14:30:12
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はじめまして。
はじめましてのご挨拶をどこでしてよいか分からなかったので、
新規スレッドを立てさせていただきました。
もし間違えていましたらおっしゃって下さい。
数か月ほど前から貴サイトを拝読させていただいておりまして、感銘を受けております。
一言で申し上げてみますと、このようなサイトを作って下さったり、
パートナー様の症状と向き合ってこられたりしたことに、
他人ながら、同じ人間として嬉しいですし、ありがたいです、
という心情を覚えております。
このたび、以下のページからリンクさせていただきました。
http://www.iwasaki-j.sakura.ne.jp/seishin/link.html
特にリンク時の規定についての文言は、拝見する限りでは見当たらない気がしましたので、
リンクさせていただきましたが、
もし不都合がございましたら、遠慮なくおっしゃって下さい。
申し遅れましたが、私は、解離性障害などのICDやDSMに規定される精神疾患および、
私自身の共感覚と呼ばれる感覚を研究し、サイトを運営している、一個人です。
仕事のあいまに、精神疾患や共感覚についての小規模な勉強会・サークル活動や
大学での講演などをしております。
http://www.iwasaki-j.sakura.ne.jp/seishin/
私自身は、解離関連の症状は持っておりませんが、
かつて離人症のような症状があったことや、
知人の女性の方々に解離性障害・摂食障害・統合失調症などの方々がいらっしゃり、
自ら命を絶った方もいらっしゃることなどから、寂しい思いをしてきたこともあり、
自分の人生全般における「仕事」・ライフワークのように向き合っていきたいという気持ちでいます。
また、知人の解離性障害者数名が使用していらっしゃる「岩崎式日本語」という言葉も
作っています。
(特に学問上の業績などというものではなく、一個人である私が、
色々な解離性障害の方々を見てきて、ライフワークとしておこなっている活動です。)
それでは、長くなり申し訳ございません。
失礼いたします。
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2:よっし~
:
2013/07/28 (Sun) 17:10:58
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Jun-ichi 様
この度、私のブログにご興味いただき、ありがとうございます。
先ほど、貴方様のブログも拝見させていただきました。
私もたくさん共感できることや、気づかなかったことを知る機会
をいただき、とても嬉しく思っています。
勝手ながら、私のブログにも貴方様のサイトをリンクさせていた
だきます。ご不都合な点がございましたら、ご遠慮なくおっしゃ
ってください。
また、私のブログの留意点なども記載していただきありがとうご
ざいます。
幸い、私の考えの悪い所よりも良い所を見てくださる方が多く、
私は皆様に支えながら前向きにブログ執筆をさせてもらっています。
私のブログは、「私個人の今の悩み」を受け入れるための手段で
もあり、その手段を通して「共感」していただけるコメントいただく
度に、私自身の「自信」につながっています。
正直なところ、もっとこう記載するべきだったと思うこともたくさん
あります。
しかし、それは今の私が以前よりも成長したからこそ、気づけるように
なったと私は感じています。
こうして私が成長できたと感じられるのも、皆様に支えていただいている
おかげであると実感させてもらっています。
こうして、「喜び」を実感させてもらえるからこそ、これからも私はブロ
グを続けていく所存です。
私事ばかりのお話になってしまいましたが、Jun-ichi 様のこれからのご
活躍を私も応援したいと思います。
お忙しいところ、お書き込みをいただき、ありがとうございました。
それでは失礼いたします。
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3:Jun-ichi
:
2013/07/28 (Sun) 17:58:37
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さっそくご返信ありがとうございます。
私も本心では、その人の単語の使い方はあまり気にしておらず、
その奥にある意図や愛情を読み取るべきだと思っておりまして、
大変お節介で失礼かとは思ったのですが、
このような良質のブログについて、もし私以外の方が別の読み方をしてしまったら、
少し寂しいと思ったので、書いてみました。
(しかし、もう少し良い書き方を考えます。すみません。)
昔は専門家でさえそういう大雑把な言い方でしたし、
今も少し古い精神科医なら、平気で使っていますね。
私も個人的にはあまり気にならないです。
それに、私も過去の自分の文章を読んで、別の書き方をしたほうがよかったと思うことが多いです。
立て続けに書き込んで申し訳ないのですが・・・。
私は、よっし~様やここに書きこんでいらっしゃる方々のように結婚しているわけではないのですが、
過去に、先に書きました各精神疾患の方々との出会いや別れがあり、
自分のほうが心が引き裂かれてしまいました。
病的に人格分裂が起きるようなことはないのですが、
文字通り「心があちこちに裂けている」感覚があります。
そのため、或る一人の人を愛し、その人と同一の生計を考え、
パートナーとしての法的な結びつきを考えるということが、
観念的に今でも少し悩ましく感じてしまう傾向があります。
同性における友情についても、そういうところがありますが。
今でも、それぞれの人に似合った音楽を聞いたりして、色々なことを思い出します。
そういうこともあり、よっし~様のような方は尊敬してしまいます。
そういった自分とうまく付き合っていくことが、今の課題です。
リンクも確認いたしました。
ありがとうございます。
どのページもリンクフリーなのでかまわないのですが、
一応、以下がサイト全体のトップページになります。
お好きなところにリンクして下さい。
http://www.iwasaki-j.sakura.ne.jp/
また長々と失礼いたしました。
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4:よっし~2
:
2013/07/28 (Sun) 21:50:05
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こちらこそ、すぐにご返信いただき、こんな私のことを気にかけてくださることが
私にとって、とても嬉しく思います。
えらそうにいっているように誤解はされたくないのですが、私はJun-ichi様のよう
な方が大好きです。
これからもよろしくお願いいたします。
私の個人の意見ですが、人には他人に対して3つの求めるものがあるように感じています。
①人と対等でいたい
②人より優れたい
③人に嫌われたくない
私個人の意見ですが、人は①を「普通」と感じ、②を「理想」と感じ、
③を「あたり前」と感じるのではないかと思います。
しかし、これは他人を見る自分の視点(客観視)であり、自分との感覚
とは異なると思うのです。
その理由は自分の感情は「今」感じても、他の人へは「言葉を伝える」
まで時間のロスがあり、自分から見れば「未来」となるからです。
ですから、私は自分の時間軸の感覚でいうと、①を「理想」と感じ、②を
「愛情」と感じ、③こそが「普通」と感じるのではないかと思っています。
私は自分の感覚で「相手の気持ちを理解する」ということを①と考えることこそ、人が
求めていることではないかと思うのです。
失礼ながら、私は勝手ながらJun-ichi様を私に対して①と考えている人であるように
感じました。だからこそ、私はJun-ichi様に私と①になりたいと考えて
くださるように感じ、私はそんなJun-ichi様を信じたいと思っています。
人は自分の「経験」がないと相手に対して①を満たせないと感じてしまうために①を
求める傾向にあると私は感じます。
だから、私は①を求めるこそが「普通」であると思っております。
私の本音をお伝えさせていただきますと、私はJun-ichi様に対して①を求めてしま
います。
だからこそ、私もJun-ichi様を尊敬しています。
その理由は私の持っていないものをたくさん持っているからです。
私は今の自分が大好きです。その理由は、「自分は普通ではないのに、周りが大切に
してくれる」と感じるからです。
私は人のために何もできない人間ですが、私がそう思うことを否定してくれる人間が
いるからこそ、私は今の自分が大好きです。
自分とうまく付き合うことは本当に難しいですよね。
私はいつも「本当に妻を愛しているのだろうか?」と疑問を持っています。でも、そ
れでいいと思っています。
愛しているのかわからないからこそ、「愛したい」と思えるのではないかと思うから
です。
もし、私が「妻を愛している」と断言できる時は、きっと「過去の話」なのでしょう
ね。
ずっと、「妻を愛したい」と思えるのは、「自分はまだ妻を愛しきれていない」と自
分的には感じるからこそ、「続ける(希望を持ちづづける)」ことができるのではな
いかと私は思っています。
それでも、周りが妻を愛していることを認めてくれているからこそ、私は今のままで
いいと思えるではないかと思います。
私の勝手ながらの思いですが、一度Jun-ichi様にお話しをきいてもらたく、書き込
みいたしました。
長い文章ですが、最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
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5:Jun-ichi
:
2013/07/29 (Mon) 19:05:19
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こちらこそありがとうございます。
基本的に私は、まず相手の文章をなるべく多く読み、どのような人かを吟味して、
自分なりにそれに合った文章をこちらからも書いているという感覚です。
そのため、最初から文中に相手への評価が表れているかもしれません。
私と共通の部分もたくさんあるかとは思いますが、
奥様と向き合ってこられた中でのご経験については、私には全く経験のないことですので、
学ぶところが大変多いのです。
人との上下(優劣)関係や、愛情の深さ浅さといった、
一見すると共時的な問題とされがちな心理を時間軸でとらえるよっし~2様の手法が、
私が読んできた木村敏氏の通時的な精神病理観に近いと思えて、
非常に感心いたしました。
「本当に妻を愛しているのだろうか?」という疑問が
「あのときあのように愛すればよかったのに・・・」という自虐的な判断に陥ると、
もはや「取り返しのつかない」「後の祭り」的体制になって、
自分のほうが鬱的になってしまいます。
逆に、おっしゃるような
「もし、私が「妻を愛している」と断言できる時は、きっと「過去の話」なのでしょうね。」
という部分が抜け落ちていて、
現時点で「自分は妻を愛することができているはずだ」という威圧的な断言に至ると、
それは相手にも伝わってしまうのだと思います。
その中間が見えていらっしゃる方なのではないかと、
よっし~2様を見ていて思ったのです。
「本当に相手を愛しているのだろうか?」と問い続ける自己と共に、
「あなたは相手を愛することができている人ですよ」と認めてくれる第三者の存在があるという、
「車の両輪」が備わっている状態こそが、「愛」と呼ばれるものなのかも知れません。
私の周囲には、親やパートナーとの関係の破綻が解離性障害発症の
直接的契機になっている方々が多くいらっしゃいますが、
彼女たちは、「本当に相手を愛しているのだろうか?」
と問い続ける自己を持たなかったのではなく、
人一倍それを持つ人間であるにもかかわらず、
「あなたは相手を愛することができている人ですよ」
と認めてくれる第三者の存在(つまりは、その最たる存在である家族の存在)が周囲になかったのではないか、
と思うことが多いです。
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6:Jun-ichi
:
2013/08/03 (Sat) 14:58:34
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こんにちは。
今回の“「生きやすい」生活を過ごすためには?”を読んで、
よりいっそう上記の①②③の意味が分かりました。
上記だけですと、私の読解力不足もあり、少し分からない部分もあったのですが、
ブログを拝読して、なるほどと思いました。
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7:よっし~
:
2013/08/04 (Sun) 18:26:11
-
Jun-ichi 様へ
ご返信遅くなりましたが、書き込みいただき嬉しく思います。
Jun-ichi様の書き込みを見て、私もJun-ichi 様のお考えが
私のお伝えしたいことをわかってくれているように感じ、とて
も嬉しく感じております。
次回は、「私の父に対する思い」について記載する予定です。
ここでお伝えしたいということは、「人はつながっている」こと
、そして「父の存在とは私の未来を照らしてくれる光である」と
いうことです。
お時間がある際にお目を留めていただければ、幸いです。
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8:Jun-ichi
:
2013/11/14 (Thu) 14:43:28
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お久しぶりです。
最近は、解離性同一性障害の方とお会いしてお話するなどしておりました。
さて、こちらのサイトを拝見しておりますと、非常に温かい文章が多く、
「自分に適度に厳しく、他人には適度に優しい」人が書いたのだと分かります。
私は、「自分にも他人にも厳しい」ところがあると自分で思っていて、
そのあたりの特徴は、鬱・統合失調症・解離の方々とは比較的すぐに打ち解けるのに、
過食・拒食・自殺のほのめかし・リストカット・イライラ・八つ当たりなどを繰り返している方には、
「一度立ち止まって、自分自身の生き方を見直すべき」ことを指摘してしまう点に表れることがあります。
決して責めるようなことはないのですが。
そのようなこともあり、こちらのブログは、私自身にとっても大変参考になりますね。
このことは、以前お書きになっていた
①人と対等でいたい
②人より優れたい
③人に嫌われたくない
という構図からも説明できそうだと感じました。
私の元には、そういう理由もあるからなのか、
非常に哲学的な思索を繰り返している解離や鬱の方々がいらっしゃる傾向にあります。
こちらのサイトは、良い意味でそれぞれの方々の日常生活の匂いがするので、勉強になりますね。
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9:よっし~2
:
2013/11/14 (Thu) 19:42:46
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Jun-ichi 様へ
お忙しいところ、書き込みいただきありがとうございます。
>「自分に適度に厳しく、他人には適度に優しい」人が書いた
>のだと分かります。
上記のコメント、大変嬉しく思っております。
最初にJun-ichi 様のお気持ちを壊すことになるかもしれませんが、私の考え方をお伝えさせていただきます。
私は「自分に優しく、他人に厳しい」と自分で思える選択肢を考え、行動する内容を決定するように心がけています。
その結果、周りからは「自分に厳しく、他人には優しい」とご意見をいただくことが多いです。
ここでいう「自分に優しく」とは「今の自分が周りから責められないようにする」であり、私の狙う報酬は「周りから責められない」ことです。
一方、「他人に厳しい」とは「他人が自分で習得できるチャンスを私が奪うこと」です。
例えば、妻が家事ができないといえば、私が家事をします。妻には「家事をしたい」と言うまで一切させません。
しかし、私は妻が「家事をできるようになるチャンス」を奪っているのです。
一見私が「優しい夫」と見る方もいるかもしれません。それは、妻の立場で物事を考えていないからかもしれません。
私の行動は妻の精神面を追い込んでいます。私は妻に「苦しい思いをさせる」ことをずっと行動しているだけなのです。
私は妻に嫌われる行動をずっとしています。それでも、妻は私を思い続けてくれているのです。
私は「弱い人間」なので、「自分を守る」ことを「第一優先」としています。
私が他人を守るのは「私に報酬がある時」だけです。私は「人のためだけ」に行動しません。
いくら自分の感情が人のために行動したいと願っても、「自分のため」にならなければ、私は行動しないように我慢しています。
私は父から「愛情と同情は紙一重」と習い、感銘を受けました。そこで、私は以下のように理解するようにしたのです。
「愛情」とは「今の自分を大切にし、相手の未来を大切にすること」。
「同情」とは「相手の感情を利用して自分を大切にすること」。
私はなるべく「同情」したくありません。どうしても我慢できない時は私の意思と関係なしに私が無意識に行動しているのですから。
私はただ「愛情を持って人と接する人間になりたい」のです。そして、そんな私を妻に受け入れてほしいと自分勝手に私は願っています。
私が妻に対して望むことは「妻が妻の意思で私を支え続けることが幸せと感じれるようになること」です。
同時に私は妻に対して「私が私の意志で妻を支え続けることが幸せと思えるようになりたい」と思い続けています。
だから、私は私が好きで妻を思い続けています。だから、妻が私を利用してもかまいません。私は妻の未来を奪っているのですから。
それでも私は妻を「妻の意思」なしに利用しません。その理由は、妻が私を利用しても「私の願い」は私が妻を苦しめているのですから許せますが、私が妻を利用すれば私の思いは変わったことになるので、私が私を許せません。
だから、妻が私の願いを実現できなくても「私は妻を信じ続けたい」のです。
これが私流の妻の愛し方です。正しいとは思いませんが、私のことですから私はこれでいいと思っています。
>良い意味でそれぞれの方々の日常生活の匂いがする
ありがとうございます。
お1つお伺いしたいのですが、Jun-ichi 様のいう「日常生活の匂い」
とは具体的にどのようなことでしょうか?
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10:Jun-ichi
:
2013/11/14 (Thu) 23:08:31
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>最初にJun-ichi 様のお気持ちを壊すことになるかもしれませんが、私の考え方をお伝えさせていただきます。
>私は「自分に優しく、他人に厳しい」と自分で思える選択肢を考え、行動する内容を決定するように心がけています。
>その結果、周りからは「自分に厳しく、他人には優しい」とご意見をいただくことが多いです。
ご返信ありがとうございます。
周りの皆様も、今回書いて下さったようなよっし~2様の姿勢をこそ「優しい」という日本語で表現なさっているとは思いますので、
自画自賛の必要はなくとも、褒め言葉として受け止めてよいと思いますけれどね。
いわゆる言語学で言う「シニフィアン」と「シニフィエ」の問題でしょうか。
「よっし~2様は人に優しい」と言うときの「優しい」という日本語単語が「安易な同情」を指しているとは限らず、
逆転して今回おっしゃったような「厳しさ」を表しているかもしれないとも思いますので。
しかし、おっしゃるご意見は全体的によく分かりますね。
全て一致することはないでしょうが、私も似たところがあるのかもしれません。
「私が他人を守るのは「私に報酬がある時」だけです」という考え方を堂々と表明する人間のことを、私は真に優しい人間だと思っており、
「相手の感情を利用して自分を大切にする同情」を私は優しさや愛情とは思いませんからね。
非常に僭越な話になりますが、私は解離性障害の知人などから、
「主治医に受け入れられなかったことでも、岩崎さんになら言える」と言われることがあります。
これはなぜかといつも考えるのですが、主治医の対応が「同情」だからだろうと思うことが多いです。
それはつまり、「患者が患者の意志で、患者なりの利益を要求する」ことを認めない態度だからだと思います。
このあたりのことは、私はカント哲学の中の、「善とは何か」といったことを参考にしたのですが、
あまりに長くなりますので、省略してしまいます・・・。
>お1つお伺いしたいのですが、Jun-ichi 様のいう「日常生活の匂い」
とは具体的にどのようなことでしょうか?
言葉足らずで申し訳ないです。
こちらのサイトでは、「いつどこでパートナーとどういうことがあって、具体的にどのように苦しかった」といった、
文字通り「個人的な」書き込みも多く見られます。
「個人史的」「生活密着型の」書き込みなどと言ってもよいのですが。
それにそもそも、「妻と自分」という極めて具体的な人間関係にまつわる思いや考えの公表であり、
そこから感じ取れるものは、よっし~2様やこちらのサイトにご訪問なさる方々の「日常」だと感じます。
一方で私のサイトの場合、公開している情報も観念的・哲学的なものが多いですし、
(元々私は、ニーチェ哲学やキルケゴールの恋愛・結婚の思想をひたすら読んでいた人間です。)
たとえば、境界性人格障害の女性などから、いつどこでどのようにリストカットして過食して、その結果どうなったというようなご相談は
あまり来ないんですね。
むしろ、そういう方々には、厳しすぎるというか、難解で近づきがたいサイトだと自分で思ってしまいます。
その代わり、「なぜ人間は生きなければならないと思いますか?」「なぜ殺人は悪行とされるのですか?」
といった問いやご相談が直球で来ることが多いです。
もちろん、それには答えるのですが、これを繰り返していると、決して一般向けサイトにはならない気がします。
ところが、よっし~2様のサイトは、同じだけの質の内容が、
小中学生や一般の夫婦にも分かりやすい日本語の畳みかけで構成されているので、
閲覧者が見たときに「閲覧を拒絶されている」と思う要素が少ないと感じます。
そういった意味で、少なからぬ敬意を込めて書きました。
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11:よっし~2
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2013/11/24 (Sun) 00:08:29
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Jun-ichi様
>自画自賛の必要はなくとも、褒め言葉として受け止めてよいと思いますけれどね。
もちろん、大変うれしく思っております。
ただ、私自身が自分を信用できないことがあり、私自身が気になることを一方的に
Jun-ichi様へお伝えさせていただいた次第です。
Jun-ichi様のお言葉には、私に自信をいただけている気分になり、私の悩みと
いうか自信がもてないことを正直に話させていただいております。私のお話を聞い
ていただき、大変うれしく思っております。
>よっし~2様やこちらのサイトにご訪問なさる方々の「日常」だと感じます。
私個人は意識していないのですが、お話をお伺いして、「確かに」と思いました。
私にご相談いただける方の多くは、私個人の考え方に「共感」してくださる方か
らのご相談が多く、ご相談者は何らかの「希望」を持ってご相談をしてくださるよ
うに私は感じております。
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12:Jun-ichi
:
2014/01/03 (Fri) 21:14:40
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明けましておめでとうございます。
前回のご返信、ありがとうございました。
本年もしばしば拝読させていただきます。
よろしくお願いいたします。
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13:よっし~2
:
2014/01/23 (Thu) 10:50:32
-
Jun-ichi様
ご挨拶ありがとうございます。
本年もよろしくお願いいたし
ます。
よっし~2
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14:茜:
2014/12/22 (Mon) 12:02:31
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いままで携帯からネットで送信していたため入っているのか不安になりメールいたしました。
私が鬱ですね(笑)不安不安なんですよね?
彼のこと好きなんですがうちの子の受け入れがなかったら、
私たちの関係は全く進まないしありえないので、早いとこ去った方がいいのですが
(彼と会えない=週末私とも遊びに行けない。子供にも悪いので)
しかし、この世に解決できないものなんてないと思っているので、
なにか改善があるんだと思うんです。ヒントでもアドバイスでも頂きたいです。
お願いします。
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15:櫻井
:
2023/05/13 (Sat) 13:31:05
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少しお話しがあります。ここでよろしいでしょうか?